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Hamden

Author:Hamden
高山植物をはじめ里山に咲く花が好き

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ニューヨーク その2
中に入り、振り返りゲートを見る。

素晴らしい建築様式に圧倒される。

ここは一体どこ?  ディズニーランド、それとも美術館、博物館?
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中の通路沿いには、美しい花々が咲き乱れている。
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トイレの入り口も、アンティークなランプがおしゃれに飾られている。
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名前はわからないが、色鮮やかな巨大な百合が香り豊かに出迎えてくれる。
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百合と重厚な石作りの建物が妙にマッチしている。
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しばらく車で走ると目的地に着く。

もうおわかりですね。 ここは墓地です。
マンハッタンからブルックリンに入り30分程度。 
グリーンウッド墓地と呼ばれ、2平方キロ近くもある広大な敷地には複雑な小道が無数にあり、池や丘まである。

1838年創設。 広さ478エーカー。
なんと約56万人がここで眠る、広大な墓地です。
画像 036


そしてここが、 タウンゼント・ハリスのお墓です。
1856年、ハリスは初代駐日米領事として開港したばかりの下田に赴任してきました。 下田では、柿崎の玉泉寺をアメリカ初の領事館とし、2年10ヶ月滞在しました。

右奥に見える石灯篭は玉泉寺の住職が寄贈したものです。
下田市は毎年この時期、ハリスの偉大なる偉業を偲び墓参りにきています。
私も15年ぶり、2回目となります。

当時、桜の木と花みずきの木の2本が植えてありましたが、残念ながら花みずきは枯れてしまったようです。
長方形に玉石が敷かれてありますが、そこに植えてありました。
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1854年、ペリーが来航、日米和親条約締結。下田が最初に開港されたのは皆さんご承知のとおり。
その条約に基づいてハリスは来たわけですが、日米和親条約では、貿易が認められていなかったため、貿易のための条約、日米修好通商条約の締結が大きな目的の一つだったようです。


1858年、苦難の末、日米修好通商条約が締結されます。
と同時に不運なことに下田の港は閉じられ、新たに5つの港が開港されます。

一躍檜舞台に上り詰めた下田は、しばらく歴史から忘れ去られてしまいます。


墓石にはハリスが「日本のよき友」だったことを示す墓碑銘が記されています。
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グリーンウッド墓地には多くのニューヨークの偉大な先人たちが眠っている。
作曲家で指揮者のレナード・バーンスタインや、若くして死んだカルト的アーティストのジャン・ミシェル・バスキアもここに眠っている。また、ティファニー家代々の墓もある。


 この墓地のバトルヒルにはブルックリンの戦い(ジョージ・ワシントン率いる独立軍とイギリス軍の間で行われた戦争)を記念して、自由の祭壇と戦いの女神ミネルバの像が建てられている。ミネルバ像の左手は、リバティー島に立つ自由の女神に向けて高く掲げられている。そして自由の女神もまた、真っすぐにバトルヒルのほうを向いている。とのことだ。
 残念ながらこのバトルヒルには、行くことができなかったが、そこから川越しにみる自由の女神も素晴らしいようだ。
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迷路のような敷地を戻ると、入り口横には、こんなお墓があります。
平らなお墓で、地面すれすれに埋めてありますので、この写真からはみえませんが、
お花や星条旗で、お墓があることがわかります。
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ハーブ類もいっぱい植えてあります。
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やっと入り口に戻りました。
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さて、次はどこかな?




続く。




アメリカ | 2010/07/23(金) 21:40 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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